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自分の高校時代を思い出しました。


おはようございます。小菅です。m(__)m

 

 

自分はそんなに「テレビっ子」ではないのですが、ここ最近「テレビドラマ」にちょっとハマってます。(笑)

 

今のお気に入りは「ファーストペンギン」と「アトムの童」

 

どちらのドラマも苦難を乗り越えながら前に進んでいく姿が根っからの”体育会系”の自分を奮い立たせますねぇ…。

 

「俺も生徒のみんなのためにもっともっとできることがあるはずだ…!!」

 

こんな熱い気持ちを自分に与えてくれています。さあ、今日も張り切って行きますよ~!! ^_^

 

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昨日のブログでも書いたのですが、週末、授業に忙殺されてしまいお子さんたちの様子を画像に残すことができなかったため、先日読んだ新聞記事についてです。

今、「アトムの童」にも出演されているお笑いトリオ「ハナコ」の岡部さんの大学受験時のエピソードです。

 

記事を読みながら、私も自分の高校時代を思い出していました。

 

私も岡部さんと同じように、高校2年のとき、授業についていけず「異次元」にいる感覚でした。

 

特に「数学」の授業は、公式を学習してもそれをどう計算していいかも理解できない状態に陥っていました。(当時の教科名でいうと、「基礎解析」と言って、三角関数や指数関数、対数関数などですね。)

 

そんな状態でしたから、当時の数学の担当の先生は順々に生徒に堪えさせる際に私を飛ばして次の人を指すほどでした。

 

自分自身も「できない自分が悪いんだから…。」と思いつつも、その仕打ちは本当に辛かったですよね…。

 

その当時の私の生活は、平日は朝練のため、午前7時前にはグランドに到着し、夜は自宅に帰るのが午後10時半ぐらいになるのが常でした。

 

土・日曜日も朝から丸1日練習や試合でしたので、遅れた勉強を取り戻すだけの気力も体力も時間的余裕も全くありませんでした。

 

そんな自分も部活を引退してからはいよいよ学習に対して本気になりました。

 

私は当時、とにかく数学がまったくダメでしたので、毎日、数学の担当の先生のところへ「朝・昼・夕方」を1日3回、毎日通うことを日課にしました。

 

そうです、先ほど書いた「私を飛ばして次の人を指名していた数学の担当の先生」のところです。(笑)

 

先生も最初は「君は誰?」って感じだったので、行くたびに「3年●組の小菅です。」と言って、名前と顔を覚えてもらうってところからのスタートでした。(笑)

 

本当に最初に質問していたのは「こんなのも分からんのか…。」ってぐらいレベルの低い質問だったと思うんですけど、毎日通い出すうちに先生もすごく熱心に指導してくれるようになったんですよね。

 

パソコンを使って関数のグラフを描いて説明してくれるなんてこともありました。

 

先生に質問するってことは、こちらもきちんと問題を解いていないと質問できないですから、せっせせっせと問題に取り組みました。

 

そんなこんなしてるとですね、徐々に先生が授業中に指名してくれるようになったんですよ。「はい、次、小菅君、答えて。」って。

 

あれは嬉しかったですよね…。「あぁ、やっと先生が覚えてくれたんだ。」って。(笑)

 

そうなってくると、自分も俄然やる気がより一層高まりました。

 

記事の中で岡部さんも話していましたが、自分も1冊の問題集をボロボロになるまでやり込みましたね。

 

自分はできる生徒ではありませんでしたので、次々と新しいものを解くというよりも、今、自分の周りにある問題集を完全に使い切る

 

これは良くうちの生徒さんにも話をしますが「問題集のページを開かなくても、”●ページの大問1の答えは▲”って言えるまで使い切ったよ。」って感じでした。

 

さらに嬉しかったのは、大学の合格発表当日。

 

昼休みにわざわざ自分の教室まで数学の先生が足を運んでくれて、担任よりも早く「おめでとう!! 合格していたよ。」と教えてくださったんですよね。

 

大学に合格できたのも嬉しかったですが、職員室とは別棟の私の教室までわざわざ足を運んで伝えに来てくださったことが本当に感動したことを今でも覚えています。

 

当時、あんなに数学が苦手だった自分でも「できる」ようになったんですから、努力次第で変われるんですよ!!

 

今、教室に来てくださっている生徒さんたちに「できるようになったときの喜び」をお伝えできるよう、これからも精一杯努めてまいります。

 

ぜひ、力を合わせて取り組んで行きましょうね!! ^_^

 

それでは、また~。m(__)m